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小林嵯峨舞踏暦
 
     
  小林嵯峨舞踏暦(1)

1969年より 土方巽に師事

土方巽燔犠大踏鑑、第2次暗黒舞踏派の主力メンバーとして芦川羊子、玉野黄市、和栗由紀夫らと共に、舞踏創成期の全ての土方作品に出演、多数の支持を得ることとなる。

特に集大成ともいえるアートシアター新宿文化における『四季のための二十七晩』、西武劇場(現・PARCO劇場)柿落とし公演『静かな家・前后編』には全編にわたって出演、70年代における土方舞踏確立の一翼を担う。重心を低く落とし、西洋のバレー、ダンスとは対極にあると言える舞踏のスタイルは、この2作品によって決定されたと言ってもよく、後に輩出する多数の舞踏家に多大な影響を与えた。

また、フランスをはじめ、ヨーロッパ、アメリカのダンスシーンにも驚異的に受け入れられ、ウィリアムフォーサイス等、現在のコンテンポラリーダンスは舞踏なくしては考えられないと言われている。

土方巽燔犧大踏鑑には1969年から1975年まで在籍。その間に、渋澤龍彦、種村季弘、細江英公、荒木経惟、中西夏之、その他の文学者、美術家、写真家と知り合う。

この時期の主な出演作品

1970年

燔犠大踏鑑、『幻獣社』による連続公演 新宿アートビレッジ『ギバサ』

第1回京都公演(京都大学西部講堂)『ギバサ』

1971年

1月〜12月『幻獣社』による新宿アートビレッジにおける連続公演『売ラブ』『すさめ玉』『残念記』

武蔵大学の文化祭にて公演

1972年

第2回京都公演(京都大学西部講堂)『売ラブ』『すさめ玉』『残念記』

池袋西武百貨店、ファウンテンホール『すさめ玉・前后編』

アートシアター新宿文化 『四季のための二十七晩』として、『疱瘡譚』『すさめ玉』『碍子考』『なだれ飴』『ギバサン』

1973年

渋谷西武劇場(現・PARCO劇場)柿落とし公演『踊り子フーピーと西武劇場のための十五日間〜静かな家・前后編』

1974年

燔犠大踏鑑『白桃房』が結成され、小林嵯峨もその結成メンバーとなる

新宿アートビレッジにおいて、『白桃図』『美人と病気』『日月ボール』が1975年まで連続して上演

 

小林嵯峨舞踏暦(2)

1975年

立花隆一と共に独立。土方巽の影響を受けながらも立花との共同作業により、独自の舞踏を手懸ける。また、それと共に構成、振り付け等を行い、後進の育成にも努力する。

主な作品および活動

1975年 

『赤い靴』シアターグリーン

1976年 

『すずらん物語』京大西部講堂

1977年 

『にがい光』渋谷エピキュラス(土方巽 構成・振付)

『境界線午前3時』シアターグリーン 新潟県民会館

1978年

『アルヘイ糖』赤坂IACホール

『奇妙な果実?』キッドアイラックホール

1983年

土方巽の招聘により、ヨーロッパ六カ国を巡演する『Japan Festival』に芦川羊子と共に参加。能、狂言など日本の伝統芸能に並び、舞踏公演として『日本の乳房』を踊る(フランス文化庁、国際交流基金の共催による)

 

小林嵯峨舞踏暦(3)

1987年

ソロ活動を開始する。

主な作品および活動

1987年

山形県大蔵村での『土方巽野辺送り祭』に参加 

1988年

『スサ(亡き父のために)』恵比寿ファクトリー1

1989年

『スサ?』中野テルプシコール

1992年

土方巽七回忌『聖なるアーク』に参加

中野テルプシコール10周年記念企画に参加『青い犬の目』

1993年

『彼方』渋谷ジァンジァン

1994年

ドイツ・ゲッチンゲンにおける舞踏フェスティバルに参加『彼方』

『風儀(玉野黄市と共演)』東京FMホール/エヌ企画の共催による

 

小林嵯峨舞踏暦(4)

1995年

『小林嵯峨+畸麟』を設立

主な作品および活動

1995年

『白溶』横浜市岩間市民プラザ

1996年

サンフランシスコBUTOHフェスティバルに参加『舞踏幻視』

シアターX主催ダンスフェスティバルに参加『舞踏幻視』

土方巽没後10年企画を主催『司夜』中野テルプシコール

1997年

『シャーメン』(演出・麿赤児)新宿ルミネホール Act/エヌ企画共催

サンフランシスコにてワークショップを開催

イタリアにおけるアートフェスティバルに参加『ごきかぶり』

 

小林嵯峨舞踏暦(5)

1998年

グループ名を『小林嵯峨+NOSURI』と改名

主な作品および活動

1998年

パフォーミングアーツグループMMACによる公演『うすばかげろう』に参加
パナソニックグローブ座 主催・東京都歴史文化財団
 
ドイツ・マインツ市主催“地球との対話プロジェクト”『灰神楽』 

フランスMDLCアートフェスティバルに映像作家のヒグマ春夫、舞踏家の徳田ガン等と共に参加、ヨーロッパ各地のアーチストとコラボレーションを行う

『土方巽'98 舞踏八晩―巽の方角へ』に参加

『アウラ』中野テルプシコール

“舞踏アウラシリーズ vol.1”『月歯』神楽坂die-pratze

慶應義塾大学『土方巽アーカイヴ』開設記念『四季のための二十七晩』をめぐってのシンポジュームにおいてパネラーとして出席、舞踏について語る

1999年

フランス、ブルゴーニュ、パリにおける『Via # 5Art Festival』に招待参加

“舞踏アウラシリーズ vol.2”『月姫…無意識の花…』世田谷シアタートラム 共催/クリック世田谷文化生活情報センター芸術文化振興基金支援事業

2000年

神楽坂die-pratze主催『ダンスが見たい!2』に参加『娘情子』

“舞踏アウラシリーズ vol.3”『月月月・三日月・繭』川口現代美術館スタジオ

2001年

“舞踏アウラシリーズ vol.4”『逃走=フーガ』中野プランB

世田谷パブリックシアター・レクチャー『土方巽』にゲスト講師として出席

2002年

神楽坂die-pratze主催『ダンスが見たい!3 〜21世紀舞踏典』に参加『狂える草』

麻布die-pratze主催『Collection 2002』“鼠派演踏鑑Ω”に客演

『International Dance Festival "JADE2002"』における舞踏セミナーに講師として参加

2003年

神楽坂die-pratze主催『ダンスが見たい!4』に参加『フンイチキ』

フィンランド、クオピオに於ける『アンティ・フェスティバル』に招聘参加『アウラ・白い花びら』

『International Dance Festival "JADE2003" 土方メモリアル』に参加

川崎市岡本太郎美術館主催『舞踏家土方巽抄』に参加

2004年

シアターX 羅天乃響『二つの記憶』に客演

麻布die-pratze主催『ダンスが見たい!6』に参加『アウラヒステリカ・エロ』

『小林嵯峨の舞踏の夕べ〜舞踏幻視』国際文化会館

2005年

細江英公写真集『鎌鼬』(舞踏・土方巽)復刻版出版記念イベントに参加

東京ダンス機構主催『TOKYO SCENE 2005〜70年代的』に参加

『Third Room“タナトス6”』オープニングイベントに参加 

『ヒグマ春夫展 インヴェンション/ミズと水』客演

『原色の七十年代典―舞姫嵯峨+35―』を主催(小林嵯峨の舞踏35周年を記念するイベント)/ギャラリーLE DECO

『うめの砂草―舞踏の言葉』著/小林嵯峨 アトリエサードから発行される

2006年

鎌田泰二のあかり初個展『和灯展』オープニングイベント参加『胎内ヨリ月ヲ見ル』 笛/黒崎孝雄 会場/松原賢アトリエギャラリー“間”林間特設会場

相模原芸術家協会展 創立15周年記念 カナダ・トロント市美術交流オープニングレセプション 『狐の嫁入り』相模原市市民ギャラリー

シアター東京バビロン主催『Dance Selection〜踏みはずし vol.5』に参加 『マ・グ・サ・レ』 出演/小林嵯峨・宮下省死・成瀬信彦 音楽/石川雷太 音響/安達がらん 照明/宇野敦子 会場/シアターバビロンの流れのほとりにて

FINLAND/Helsinkiの美大「The Academy of Fine Arts of Finland」で、5日間のButohワークショップ&レクチャー。

映画『マ・グ・サ・レ』上映会 監督/筒井勝彦 出演/小林嵯峨・宮下省死・成瀬信彦 会場/タナトス6

2007年

ソウル実験演劇祭/韓日アートリレー2007に参加 『らぷか』構成/小林嵯峨 主催/シアターゼロ 会場/NOWON Calture & Art Center

『小林嵯峨ソロ舞踏公演〜半分夢』 演出・出演/小林嵯峨 音楽/石川雷太 照明/アイカワマサアキ 美術・衣裳/小林和史・甲斐さやか 音響/安達がらん 会場/シアターバビロンの流れのほとりにて 提携/東京バビロン 主催/NOSURI

東京バビロン主催『Dance Selection〜踏みはずし vol.6』に参加
小林嵯峨+NOSURI公演『コ/ギ/トーーン』 
演出・振付/小林嵯峨
音楽/石川雷太 照明/アイカワマサアキ 音響/安達がらん 会場/シアターバビロンの流れのほとりにて

 
     
     
 
掲載写真撮影者:小野塚誠、神山貞次郎、高橋成忠、Kevin Bubriski、一条邦雄、田中英世
 
     
     
 
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